大変お待たせいたしました!New!歴史パズル 第二章 第三節 泊の歴史を伝える散策道

忘れそうだから前回のクイズの答

〇宮古の人とできないゲームがあるんです。それは次のうちどれでしょう?

   1.早口言葉  
   2.しりとり 
   3.なぞなぞ

   答は 2.しりとり 

宮古の方言は❝ん❞から始まる言葉があるので、エンドレスゲームになりますね。❝んみゃーち(いらっしゃいませ)❞❝んず(魚)❞など

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それでは「泊手トゥマイディー」の達人松茂良興作まつもらこうさくのふるさと「泊」の散策を始めてみましょうか。

 まず訪れてほしいのは「泊散策道」。那覇市立泊小学校の東側の門から道路を渡ったところにあります。道路沿いに泊の歴史や人物に関するレリーフを作ってあるコミュニティー道路ですね。ペリー提督の訪問の様子、武士松茂良と呼ばれた松茂良興作、沖縄の三大歌劇「泊阿嘉トゥマイアカー」那覇ハーリーの船、崇元寺石門などのレリーフや説明、花壇などがありますよ。

 ※「泊散策道」は一方通行です、車で通行の際は泊小学校側からは入れませんので、訪れる際は気をつけて下さいね。


↑泊散策道


↑泊散策道


↑武士松茂良と呼ばれた松茂良興作

 

 

沖縄の伝統芸能、名作にふれてみましょう!

○大ヒットの名作「泊阿嘉トゥマイアカー」

 1879(明治12)年琉球王国がなくなり「沖縄県」が設置されると職を失った士族の一部が首里に仮小屋をたて、組踊クミウドゥイや舞踊などの芸能を見せていました。その後、那覇に移り本格的に芝居小屋を建て、演劇を行うようになります。

 1910(明治43)年に我如古弥栄がねこやえいが「泊阿嘉トゥマイアカー」という歌劇を創作、台詞を歌にのせて歌うもので、112日間連続上演という驚異的な大ヒットを記録しました。

 

歌劇「泊阿嘉」あらすじ

3月3日浜下りハマウイの日、若狭のアカチラ浜で、久茂地くもじの青年「樽金タルガニー」と泊の「思鶴ウミチル」が出会う。思鶴に一目惚れした樽金、泊高橋に通い詰め、99日目に二人は結ばれる。ところが、当時は親の承認を得ない恋愛はタブー。樽金の父親は、樽金を伊平屋島へ仕事に行かせ、二人を引き離す。

思鶴は悲しみにくれ、病気になり、死ぬ。伊平屋から那覇に戻った樽金も、思鶴の死を知り、思鶴の墓前で死ぬ。沖縄版ロミオとジュリエットのような話ですね。

 思鶴は死ぬ前樽金に長い遺言を残します。遺言を読むシーンがモチーフに描かれています。

 


↑泊阿嘉トゥマイアカー

 

沖縄の言葉で書かれているので、読み方と意味を紹介しますね。

奥山に咲きゆる 伊集の花心   うくやまにさちゅるいじゅぬはなぐくる

何のことも思まぬ        ぬぬくとぅんうまん

童あてなしに          わらびあてぃなしに

(奥深い山に咲くイジュの花のように 世間のことは何も知らない 子供のような私に)

御情や深く           うなさきやふかく

我身にかけ召しやうち      わみにかきみそち

所目まどはかて                 ゆすみまどぅはかてぃ

振合わせの御縁                ふやわしぬぐいん

(心から愛して下さったあなたとの 人目を忍んでの逢瀬)

あの世までかけて               あぬゆまでいかきてぃ

契る言の葉や          ちじるくとぅぬふぁや

我が胸にとめて         わがむににとぅみてぃ

我が肝にそめて         わがちむにすみてぃ

(あの世までも一緒だと誓った言葉を 私の胸に抱き 心に染めて)

いひん片時も          いひんかたとぅちん

忘る間やないさめ               わしるまやねさみ

(片時も忘れることはないでしょう)       

 

実際の芝居ではもっと長いのですが、一部を抜粋して碑に書いています。

樽金タルガニーは涙を流しながらこの手紙を読み、「思鶴ウミチル!」と叫びそのまま墓の前で死んでいくのです・・・涙の物語ですね。

 

「泊阿嘉」は時々浦添市にある「国立劇場沖縄」で上演されることがあるので、機会があれば見て下さいね。

前半の部分は短くされて、「しんだん木」という歌にまとめられています。沖縄歌劇の雰囲気をあじわいたい方はCD化されていますので、さがして聞いてみて下さいね。

 泊を舞台にした名作歌劇のお話でした。長くなりましたが、いかがでしたでしょうか?