第二章 第二節 泊手のふるさと歴史散歩

クイズ(空手をなさっている方にはちょっと失礼かもしれませんが・・・)

  沖縄空手の四代巨人と呼ばれている方のうち、「泊手トゥマイディー」の達人として有名な人は次のうち誰?

  1.松村宗棍 (まつむらそうこん) 
  2.摩文仁賢和 (まぶにけんわ)
  3.松茂良興作 (まつもらこうさく)
  4.上地完文 (うえちかんぶん)

学問の盛んな港町「泊」

 泊村(那覇市泊)の人々は、離島航路の重要な港「泊港」をかかえ、よその国や地域の人も訪れ、歴史上も大きな役割を果たします。

・離島からの貢物を納める蔵があった
・王統の交代に関する物語の舞台
・中国からの冊封使から隠れる港
・欧米諸国の人々の宿泊の聖現寺 など

港なので必要になることが出てきますよね。
病人が出た時には医者が必要だし(今でも泊には病院・医者が多いし、明治時代、沖縄で最初に日本の医師免許習得したのは泊の人です)。
1846年「仲地紀仁なかちきじん」という泊村の医者がベッテルハイムという外国人から天然痘の予防になる

「牛痘種痘」を習い実施したこともあります。

言葉も違うから通訳も必要になるでしょう。
なので、泊では「学問」が盛んになります。
外国や他の地域の新しい情報も入りますしね・・・
これは後で、松茂良興作のエピソードにもかかわってきます。

↑泊港

↑ベッテルハイムと仲地紀仁の顕彰碑
那覇市若狭護国寺内


というわけで、クイズの答え

沖縄空手の四代巨人と呼ばれている方のうち、「泊手トゥマイディー」の達人として有名な人は次のうち誰?

  1.松村宗棍 (まつむらそうこん) 
  2.摩文仁賢和 (まぶにけんわ)
  3.松茂良興作 (まつもらこうさく)
  4.上地完文 (うえちかんぶん)

 答:3.松茂良興作 (まつもらこうさく)

※参考
「1.松村宗棍 (まつむらそうこん)」首里手スイディー
「2.摩文仁賢和 (まぶにけんわ)」那覇手ナーファディー
「4.上地完文 (うえちかんぶん)」上地流

 ↑松茂良興作


王国の歴史に関わる重要な港

 今から750年くらい前には奄美あまみ大島、久米くめ島、慶良間けらまの島々、伊平屋いへや島などの島々から送られてきた貢物を納める泊御殿、大島蔵もたてられています。

↑大島蔵跡 那覇市泊高校付近

↑当時の王「英祖王」の墓 
浦添ようどれと墓の内部の様子 浦添市仲間

630年ほど前の1390年宮古島の豪族が「察度(さっと)王」をたよって泊に来ます。泊に3年滞在しました。宮古とは言葉が違っていたので、習うために滞在したそうです。

宮古に帰る時に宮古島の首長の地位「与那覇勢頭豊見親(よなせどとぅゆみや)」の称号を与えます。

屋敷跡に子孫により1767年(250年ほど前)にたてられた記念碑が今も残っています。

その時滞在していたうちの一人「高真佐利(たかまさい)」という人が故郷を懐かしんで歌を歌っていたことにちなんで、現在は「タカマサイ公園」と名がつけられていますよ。

↑与那覇勢頭豊見親旧跡碑

↑タカマサイ公園

先に進みますかね。
いや、あせらないあせらない、一休み、一休み(笑)
わかるかな?

 

最後にクイズ

 宮古の方言は沖縄本島のものと違うことがあります。実は宮古の人とできないゲームがあるんです。それは次のうちどれでしょう?

 1.早口言葉
 2.しりとり
 3.なぞなぞ  

さてどれでしょう?答えは次の回に・・・